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開業カウンセラーの日常

大晦日


大晦日の行事は平安時代からありました。
「枕草子」や「徒然草」などにも当時の様子が書かれています。
本来、大晦日は歳神様を祀るための準備が行われる日でしたが
仏教の浸透とともに、除夜の鐘をつく習慣も生まれたようです。

大晦日の風物詩である「年越蕎麦」は江戸時代から食べられるようになりました。
金箔職人が飛び散った金箔を集めるのに蕎麦粉を使ったことから
年越蕎麦を残すと翌年金運に恵まれないと言われていたそうです(^_-)☆

また、井原西鶴の「世間胸算用」に書かれているように
江戸時代の町人は大晦日になると借金の返済に追われていたようです(>_<)
これは年内に借金を返済し、新しい気持ちで新年を迎えたいという人が多かったからで
現代でもそれにならってか、決算を3月ではなく12月にする企業もあるようです。


ただいま禊(みそぎ)中v(^-^)v
押忍!

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禊(みそぎ)


毎年恒例の私的行事ですが、今回から2日多い6日間行います(^_^)v

年末年始にラマダン式断食(1日1食で粗食)+断酒+自主トレ約4時間+瞑想90分、心身を鍛えあげます!

年末年始にお金を使わなくてすみます(笑)

巷が浮かれているときこそ、天の邪鬼ゆえ、ストイックに徹しますV(^-^)V

臨兵闘者皆陳列在前!
押忍!!


仕事納め


予定では28日でしたがイレギュラーがありまして(^_^;)本日29日が仕事納めとなりました。たぶんもうイレギュラーはないかと…(苦笑)

仕事初めは5日です。
皆様、よい午年を(^_^)v

稽古納め



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【障害者の部】
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【一般の部】

稽古はじめは4日です、押忍!

信念なの(?_?)


それとも晋ちゃんの意地?もしくはただの無謀(笑)
靖国はマズイよね(>_<)
なんで千鳥ヶ淵にしなかったのよ!

もっと賢いかと思ったけど、太郎くんも止めないと、晋ちゃんの暴走を…

基地問題が何とかなるんで、お山の大将気取りでいるんなら大馬鹿だよ(`へ´)
大失敗!最悪!!

それとも秘策でもあるの?とてもそうは思えないけど…(謎)

カウンセリング受けた方がイイよ(爆)
この先も総理大臣やりたいなら((((((≧∇≦))))))ぎゃははは

それぞれのクリスマス


クリスマスデートで「回転寿司へ」「競馬に連れて行かれ夜は別行動」「大喧嘩して別れた」…等々(-.-;)
どれも悲惨な内容の体験談ですが、私もクリスマスデートなんかしたことありません!

天の邪鬼なんで、クリスマス商戦にのるわけもなく(笑)
ケーキやチキンなども食べません、むしろ納豆ご飯と味噌汁とか…( ̄▼ ̄)ノ_彡☆ばんばん!

もっともボーイスカウト時代からクリスマスはボランティアでした。
老人ホームや交通遺児施設への慰問(^_^;)

社会人になってからは、障害者団体のクリスマスパーティーの企画&演出で、専ら裏方に徹し、みんながいかに楽しんでくれるかを試行錯誤しています(苦笑)

今年は…詳細はアップできませんが、やはりイヴの夜はボランティア(^_-)☆
25日は緊急依頼で久しぶりの夜戦(>_<)
私らしい2日間でした((((((≧∇≦))))))ぎゃははは

不動明王真言唱えて…
ノウマク・サンマンダバザラダン・センダ・マカロシャダ・ソワタヤ・ウンタラタ・カンマン
押忍!


しりとり


ぱく
くね
ねっちこい
いろけなし
しめんそか
かんこく
くだばれ
れきしにんしき
きむち
ちゅうごく
くそくらえ
えろ
ろしあ
あほ
ほっけー
けーな
なんぱ
ぱく
くね
・・・

((((((≧∇≦))))))ぎゃははは

押忍、失礼しましたm(_ _)m


イブに想う


…そして神は仰せられた
「我々に似るように
我々の形に人を創ろう
そして彼らに地上の
すべてのものを
支配させよう」と…
(創世記 1・26)


その支配者である人間はどうなのであろうか?
本当に地上のすべてを支配する資格があるのだろうか??
毎年、同じ疑問を持つのは、私だけではあるまいが…

人間の欲望はとどまることを知らず、すでに神の領域まで侵そうとしている。

「デザイナー・チャイルド」聞いたことがあるだろうか?

A(アデニン)、T(チミン)、G(グアミン)、C(シトシン)…、人間が持つ遺伝子は約35億塩基対で、この4つの塩基によって記されている秘密の暗号(コード)によって、人間の形態形成はすべて決定されている。

その「二重螺旋構造」が、J・ワトソン博士とF・クリック博士の共同研究により発見されたのが 1953年で、それは生物物理学会を揺るがす大発見であり、20世紀後半の最大の科学的成果ともいわれている。

遺伝子組み換えとクローン技術により、21世紀なかばには、親はあらかじめ自分の子供の容姿、髪や瞳の色、そして際立つ能力の種類までを、デザインして子供を得るようにすることが可能になるだろう。

つまり、好ましい遺伝子だけを組み込まれた、能力に満ちた病気知らずの美男美女が、ちまたにあふれることになるわけである。無数のアインシュタイン、無数の大山倍達、そして無数のヒットラーも…。このことは一方では非常に危険だということになる。

種の保存のために、あえて生命設計には多様性が盛り込まれている。不思議かつとても興味深い事実である。人類にどんな敵が現れても、誰かが必ず生き残れるように…、つまりエイズや新種のウィルスなどのあらゆる環境変化にである。

デザイナー・チャイルドは、おそらくあらゆる疾患の回避に成功するだろう。しかし、それが果たして人類にとって良い結果を生むのであろうか(?_?)

戦争大好きの小浜くんの国が、デザイナー・チャイルドの研究では群を抜いている(>_<)
理由は簡単!軍用!!
この先、大掛かりな戦争はできない。ならば、クローン技術と遺伝子操作で、超人的なソルジャーを創り出せばいいのである。もはや、SF映画などでは決してないのである。

以前の日記にも書いたが、今度ばかりは、ゼウスも、雷帝インドラも、世界中のあらゆる神々もお許しにはならず、人類に本当に稲妻が落ちるだろう。

下手に育てられた存在


「我想う ゆえに我あり」

正しく言えば「私は想う(考える)」だけではなく、「私は感じる、私は想像する、私は欲望する、私は行動する、故に我あり」なのである。

ここで言う「私」が身体から切り離されたら…
その「私」は本来の働きを失うだろう。

しかし、このことは、セルフが力を失って、想像や幻覚の世界に入り込み、コントロール不可能の欲望に身をまかせている輩の「私」にも言えることである。

彼らは、自らをコントロールしながら人間的なものになっていく身体なのではなく、単なる炭素体ユニットに過ぎないのである。

正しい条件づけとは、努力によって獲得され、いまなおセルフコントロール下にある条件づけのことである。それは、必要な目覚め;「開かれた気づき」を強化し、われわれの脳が持つ、さらなる可能性を引き出し、自由を拡大するような条件づけである。

われわれは下手に創られた存在ではなく、下手に育てられた存在である。

自分の欲望をむやみに抑圧したり、爆発させたりすることは教えられたが、それを上手にコントロールすること、フロイト流に言えば、昇華させることは学ばなかったのである。

一般に「快(幸)」と「不快(不幸)」を区別することにのみ心を奪われ、開かれた気づきを妨げる焦燥感や不安に満ちた目覚めと、苦痛であれ快楽であれ、それらを明晰に「あるがままに」受けとめている目覚めとを、区別する重要性が理解されていないのである。

このような目覚めの状態を、西田幾多郎博士は…

「わがこころ 深き底あり」

「喜びも憂いの波もとどかじと思ふ」

…と詩で表現された。

すごい心境である。ここまでセルフコントロールできれば、この世に「怖いものなし」かもしれない。「悟り」の境地である。

私も最近になって、やっとセルフコントロールの何たるかがわかってきたところであるが、とてもとても博士のような心境には遠く及ばない。

日々、努力精進だな !




チョッと詠みました


冬の青
かなたに見える
富士の峰


吹く風に
師走のにほひ
感じつつ


亡き父を
クリスマスには
さがす稚児(ちご)


死を賭して
誰のためにと
派遣兵


人はみな
ルーシーママが
子どもなり


大義なき
“温”と“正恩”に
明日は来ず(笑)




インドの聖伝より


横浜に帰還しました( ̄∀ ̄*)イヒッ


大昔のインドに
心の目がくらんでいる 物質至上主義者の王様がいた
王は感覚的に見たり とらえた物だけしか
信じなかったし 民にもそうさようとした

インドラ(最高神)はこの王をあわれみ さとすために
自ら盗賊に変装し 王を森に誘いだし 捕らえた

インドラは 王に国を渡さなければ 殺すと言った
王はしぶしぶ承知した するとインドラは
今度は王に 死か両手両足の切断かとせまった
王は 命だけはと 両手両足の切断を認めた

さらに インドラは要求した
やはり 神への生贄のために死ねと !
さもなくば 両手両足がないまま
毒で意識のない状態になるか(植物状態)!

このとき はじめて王は ためらわずに死を選んだ

これは 本来の現実とは何かという
「なぞかけ」であって インドではこうした聖伝は多くある

真の現実とは何か という問いかけは
すべての人間にあてはまる
人が真に現実的なものを知らずして
どうして救われる いやされる だろうか

この聖伝では 短慮のすえ破壊した王ですら
あらゆる人間の本質や真髄は
外的な所有物や権力ではなく
ましては 国王ですらなく
また 肉体でも 植物状態の肉体でもない
ということを認めている

そうでなければ 捕らわれた王は
こうした一切のものを
常に末梢的なものとしてとらえ
知的な精神のために犠牲にしようとはしなかっただろう

この小さい自我は ブラフマンに取り込まれている
そういった意味では ブラフマンはどこにでもあるのだ


終わりました


「新潟滞在 最終日」



巳年最後の新潟滞在が無事に終わりました(^_^;)
午年は1月17日から初滞在になります。

巷の喧騒とは裏腹に、イイ滞在でした(^_^)v 今夜、横浜に帰還します。


さよなら(笑)


「新潟滞在中」


もう 終わりだね♪
君が哀れに見える

僕は思わず
君を辞めさせたくなる

私はもう辞めるから♪
これ以上 責めないでくれ

君の首筋を冷や汗が
流れては落ちる(汗)

僕らは厳しいよ!
辞めても 食うに
困らないでしょう?

まるで辞任のことなんて
思いもしないで♪

さよなら さよなら
さよなら(^_^)/~
もうすぐ外は白い冬

愛したのは
確かに金だけ♪
都政ではなく金だけ

((((((≧∇≦))))))ぎゃははは 盛者必衰だね!

不動明王真言唱えて己の煩悩を払え!
ノウマク・サンマンダバザラダン・センダ・マカロシャダ・ソワタヤ・ウンタラタ・カンマン
押忍m(_ _)m


冷たい空気


「新潟滞在中」

体調は回復傾向(^_^)v



冷たい空気が肌を刺す
明らかに横浜とは違う

湿った空気
冷たい空気

新潟ならでは…

日本海が暴れている
冬の冷たい波しぶき
雪を伴った波しぶき

一番 厳しい季節が
またやって来たよ

この季節に氣を同調

そして…
いまここで
あるがままに


Gcod(チュー)の儀式


「新潟滞在中」


サンスクリット語の “gcod(チュー)”は直訳すれば「切断」という意味になる。

自らの自我意識を断ち切ることによって、智慧と慈悲と菩提心とを啓発させる、すなわち「神秘的な生贄(いけにえ)」が『チューの儀式』なのである。

自分自身や自分の世界の内部に存在するあらゆる否定的な力と対決し、自らの霊的意図、誠実さ、智慧と慈悲に対する純粋さに従うことによってのみ、自らの自我をこれら否定的な存在への供物となし得、そうすることによってはじめて否定的な存在と自分自身をともに解脱に導くというわけである。

この神秘的な儀式が明らかにしているのは、自我意識という感覚が、物質的身体に対する執着と、密接に結びついているということである。

チベットでのこの行法は、自分の身体が小さく切り刻まれ、自分自身の頭蓋骨の器のなかで煮沸されるところを観想することによって、根深い執着心や煩悩を崩壊させる。

これは一見きわめて残酷で、サド・マゾ的、カニバリズム的のように思われるが、実はその正反対であり、肉体への執着や我見を断つ、きわめて真面目な行法なのである。

私がよくいう“シーア”や「直指人心(じきしにんしん)」も同じことであるが、『チューの儀式』はさらにより深いところまでの到達を可能としている。

いずれ私もトライするのだろうが、なんせまだまだハナタレ小僧の未熟者、どうなることやら…(笑)

最後に『チューの祈り』を…

汝ら(迷いのなかにある霊や魔たち)すべてが人間として生を受け
私の第一の弟子となりますように
そしてそこで 無作なる清浄心が
生じたことのない心が
天・人・魔という三種のものの
自性のなかに生じますように
そして 人を迷妄へと導く
我見への道を避けられますように
それらの意識が歩む道が
慈悲の水で 完全に潤わされますように



やや不調


「新潟滞在中」

風邪気味だったので外出はひかえ、常備薬を飲んで早めに床についた。

重めのクライアントが4人来られて、濃い1日だったからなぁ(苦笑)


深夜の瞑想(風邪気味でもやります)(笑)

南の島でくつろいでいるイメージでやっていると、これまで関わったクライアントの何人かが…不登校、schizophrenia、depression、BPD、同姓愛者…現れて「先生、私たちに無理は禁物と言ってたでしょう、スーパーマンじゃないんだから、休むときは休む!いいわね、先生!」とさらに諭されて覚醒した(^_^;)

あははは…確かにその通り(汗)ミイラ盗りがミイラでは洒落にならないからなぁ(>_<)

今日は偶然だが中休み!

私の潜在意識が休息をとるように命令を出したんだろうなぁ(^_^)v
ありがたいこってすm(_ _)m


原罪・・・


「新潟滞在中」

ヒト以外の動物は、ヒトほど仲間同士で殺し合いをしない。
研究が進んできて、同種での殺し合いが確認されてはきているものの(例えばチンパンジーの子殺しとか…)、ヒトほどには殺し合っていない。

ヒトは「カインの末裔」といわれるように、兄弟同士でさえ殺し合いをやる。旧約聖書創世記4章には、アダムとイブの長男であるカインが嫉妬のあまり、弟のアベルを殺した話があるし、日本神話でも、大国主命(おおくにぬしのみこと)が兄の八十神(やそがみ)から謀殺されようとする話が語られている。

フィクションの映画やドラマなどでも、殺しのシーンが過激に描写され、陰惨で冷酷な傾向になっているし、現実の世界でも信じられない悲惨な事件が多々起きている。

このような現代のヒトを見つめると、もうヒトは犬畜生にも劣る存在になり下がった面を否定できない。

現代のヒトを救うには、脳幹と古い皮質で営まれる心の働き「Cの心」(交流分析で言うところの「子どもの心」)、動物的生存本能の中にうずめこまれた「ホメオスターシス」とふれあわせ、健康と愛の原点に立ち帰らせることではなかろうか。

アダムとイブが、蛇の誘惑に負けて知恵の木の実を食べ、それまでは大自然の一部分として生きていたものが、自然に背く自由と、自他を区別する自我の意識に目覚めたところに、ヒトとしての原罪がはじまったと聖書には語られている。

現代のヒトは、大脳の新しい皮質による人間としての知恵が働きだす以前、聖書でいう原罪がはじまる以前の「Cの心」に立ち帰り、その原点をしっかりとふまえた上で、ヒトとしての自然の心をとりもどさねばならないだろう。

そうでないとわれわれ人類に、22世紀は訪れないかもしれない。

すごい風


「新潟滞在中」


トラックが横転するほどの強風(>_<)台風なみ…

新潟オフィスは海岸まで徒歩5分、夏はイイが冬は鉄筋コンクリートの建物が揺れるほどの凄まじい強風がしばしば(T_T)

そんな中、無事に着きましたが、車から降りて荷物を持って歩くのが大変、何度も止められるほどの強風(-.-;)

中越は雪、ここ下越はミゾレですが、傘は全く役に立ちません(泣)




さぁ 今日から気合い!

12日は暴風雪だった


今日は(13日)収まって大丈夫のようだが…
もうすぐ新潟へむけて出ます(午前5時出立)
それでも、関越道は新潟県内は大部分がチェーン規制(>_<)
でも、シトロエン(愛車)は雪道に大変強いので安心です(^_-)☆
では、行って来ます(^-^)ノ~~

巳年 最後の越後入り


13日(金)から新潟滞在になります…はい(^O^) 13日の金曜日、キリスト教圏では忌み嫌われる日です(@_@)

私はなぜか、子供の頃よりラッキー・デイとなる13日(金)ですが…(笑)

仕事でいくわけですが、いつも寄る「悠希」にて、佐渡の寒ブリを食べるのが最高の楽しみです。超美味いですよぉ(^_^)v

荘子の教え


コンピューター至上主義の機械文明が高度に発達した現代社会では、人間が人間の身体がもつ精神性を無視して、他人を物のように扱い、利用できる道具とみなしたり、人間も含め、命あるものからその命を奪うことを、軽く考えたりする傾向が強まってきている。

荘子は2000年も前に、このような文明の落とし穴について…

「機械あれば機事あり。機心胸中に在すれば則ち、純白備わらず…」(荘子天地編より)~機械が作られると必ずたくらみ事がされ、たくらみ心が生ずると人間の純粋な心が失われる。

「民の利におけるや甚だ勤む。子にして父を殺すあり。(中略)千世の後は其れ必ず人と人とあいはむ者あるなり…」(荘子雑編より)~人民というものは、利益を第一の価値とみれば、親殺しでもなんでもやってしまうものだ。その害は千世の後にあらわれ、人間同士が殺し合う世の中になるだろう。

…と教えている。

人間の孤独感と人間同士のあつれきが強まるのは、われわれが他者から阻害されたり、物のように扱われたり、命の危険に遭わされたりする時である。

もしも、自己と他者が最初から孤立した存在であるならば、われわれは孤独を感じることはない。

しかし、われわれは根源的に他者と結ばれた存在であり、他者を介することによって、初めて自己として存在しはじめたのである。

だからこそ、自己を孤立した存在と意識すればするほど、ますます孤独を感じるのである。特に、自我の目覚めが深まる思春期は、なおさら深く孤独を感じる時期でもある。

われわれは血のかよった生き物である。

血圧の上昇、心拍数の増加、呼吸の促進、発汗、胃液や唾液の分泌減少などが現れたら、それが不安や怒りによる生理的な反応であることを知るのには、心臓や胃など個々の器官だけでなく、その人を知らねばならないのである。

つまりは、身体をネガティブなものとしてではなく、ポジティブなものとしてとらえ、人間としての現実を、心身一如の営みをする生き物として理解しなければならないのだ。




悪魔が憑いている(笑)


以前、ある方から「貴方には悪魔が憑いている」と言われた事があった((((((≧∇≦))))))ぎゃははは

笑いました、かなり笑いました、いきなり何なんじゃぁ(@_@) この女!初対面なのに…でもウケタ( ̄▼ ̄)ノ_彡☆ばんばん!

あれから17年…
瞑想中に現れた鬼のような、悪魔のような、何か得体の知れないモノ?

何も語らず、手を差し出してきた。無意識に私はその手に触れる…何か柔らかい感触、なぜか心地よい(^_^;)

何か言おうとしたが言葉が発せられない(汗)どうしたんだろうか?少しあせっていると心に響いた…「思うように生きて!魂を浄化しよう!!」

(・_・)エッ..?
私も念じて何かを返そうとしたが、ここで覚醒公式作動、現実に戻る。

意味深なビジョン!
私の潜在意識下の何かがこんな形で現れて…(?_?)

愛の原点


動物にみられるふれあいについて、昔から「焼野のキギス、夜の鶴」といった例えがよく使われるが、これは動物の母親がわが子に対する自然の愛情を表現したものだ。

焼け野原で黒こげになったキジのふところに、雛がしっかりと守られていた話しや、霜の降る夜に、母親の鶴がわが子を霜から守るために、自分は霜に打たれながらも、その羽の中に子鶴を抱いていた話しがそうである。

どんな悪人でも、通りすがりに、子供が井戸に落ちようとしているのを見ると、反射的に助けてしまうだろう。

これを「孟子」は『惻隠の心』とよび、『仁の端』であると言っている。それは、道徳以前の人間の本性であると言っているのだ。

動物の母親にみられるような愛情は本能であり、井戸に落ちる子を救わずにいられないような心は、道徳以前のものではあるといっても、それこそが『愛の原点』ではないだろうか。

知性の文化によって洗脳された現代人の心からは、動物にみられる本能的母性愛さえ忘れられつつあることが、昨今の幼児虐待のニュースからもうかがい知れる。


深夜の自己主張(笑)


平蔵&忠吾(チビ時代)

★1歳未満の頃の平蔵(右)&忠吾(左)


最初に平蔵が大きな声で、ニャオニャオニャーと寝室に入って来る。
うるさいよ、夜中だからもう寝なさい!と言って撫でてやると喉をゴロゴロ鳴らしてアマアマ…

するとすぐに忠吾が負けじと、ニャンニャニャンと言って入って来て、同じパターンに(^_^;)
しばらくして落ち着いたのか?平蔵は左側、忠吾は右側にもぐりこんで一つの布団に川の字。
ラブリーだがやや狭いですね(苦笑)

このまま朝まで爆睡と行きたいが、ネコはヒトより体温が高いため、布団の中が急激に暑くなり目が覚めてしまう(>_<)でもそんな事は関係なく奴らは爆睡(-.-)zzZ

あははは…ネコのいる暮らしは飽きませんね( ̄∀ ̄*)イヒッ





パラレルワールド


瞑想中に現れた、あきらかに現世とは違う世界の事を私はパラレルワールドと呼んでいる(@_@)

ひょっとしたら本当に存在していて、精神だけがあちら側とリンクするのかも(笑)だってリアルだからなぁ(^_^;)

しばしば現れるのは、現世より少し科学が進んだあちらの世界で、私は幼なじみと結婚していて子供が2人、仕事は電気技師、街にパワーを供給するシステムのメンテナンスをしているようだ。

先日の瞑想では、電気自動車(あちらの世界ではガソリン車はない)で、家族と避暑に行ったビジョンが(どうも季節が現世と逆のよう)出てきた(?_?)


目を閉じてキーワードを唱えて数十秒…瞑想状態へと(^O^) 覚醒は覚醒公式を埋め込んであるので、私の場合はある音楽、先日は40分後にその音楽が流れるようにセットしていて覚醒した。たいていほぼ毎日40~60分は瞑想するが、時には90分やる日も!


変性意識状態


瞑想、座禅、ヨーガなどは、医学的には「ASC = altered state of consciousness(変性意識状態)」といいます。

何世紀にもわたって人類は、自分自身や自分の心の背景にあるものについての理解を深めるために、さまざまな形のASC法を実践してきたにもかかわらず、ASCとは何か?そのメカニズム、そのもっとも有効な活用法、その定義などについては、まだ十分に解明されていません。

人間の脳波には、γ(ガンマー)波、β(ベータ)波、α(アルファ)波、θ(シータ)波、δ(デルタ)波があり、γ波~β波は緊張・活動している時α~θ波は主にリラックスしている時、δ波は眠っている時に現れます。

瞑想中は、α~θ波がとてもよく出ていて、この時、私たちの脳は高僧が禅定(ぜんじょう)を行ってる時と、全く同じ精神生理的状態になっているといえます。

このα~θ波が出ている状態では、脳は最大限に活性化されます。たとえば、常にストレスにさらされている現代人は脳の働きもバランスを失っていますよね。だからこんな時、瞑想によって心身のバランスを取りもどすのです。この時、私たちの脳内では正常なホルモン分泌自律神経系の再調整が行われ、それによって、自己回復・自己解放へ向かっていきます。つまりは心身をニュートラルな状態に戻してくれるわけですね。

生態心理学(?_?)


西洋のことわざに「神は農村を作り、人は都会を作る」というのがある。

文明の進歩は人工的な人間社会を作り上げたが、現代人はこの不自然で非人間的社会に適応できず、主体性を失くし、あげくの果てには自らの生命の生みの親である「自然」をも破壊しようとしている。

人間は「世間の子」である前に「自然の子」である。だから人間社会への適応という狭い視点を越えて、社会と自然の両方に生きる「現実存在」としての立場から、セルフコントロールを考えていかねばならないのだ。

しかし、自然との深い関わり合いの中で文化を築いてきた東洋哲学は、数千年も前からこのことを語りかけている。

「悟り」とは、自分と自分をとりまく家庭や社会の環境、さらには、それらすべてを根源的に支えている自然の実体に対して、全幅的に目覚めることを意味するのであり、これこそが「意識の拡大」なのである。

だからセルフコントロールとは、個人の中での自己中心的な小さなまとまりではなく、今述べたように広さと深さをもったまとまりなのである。

近年になって東洋医学が見直されてきている。
東洋医学では、人間は「天地に充満している〔気〕を取り入れて、身体や精神を養う」とされている。

病気は文字通り、「気が病む」ことである。また「病は気から」という言葉も、俗に考えられているように、ただ単に精神的なことから病気になるのではなく、もっと深い意味があるような気がするのは、私だけではあるまい。

天地自然の調和ある営みから外れることが、発病につながるのかもしれない。
ひょっとしたら、未来には「生態心理学」などというような分野が出来ているのでは…。





師走


早い 速い はやい!
光陰矢のごとし(>_<)
千年を過ぐすとも一夜の夢の心地こそせめ(-.-;)
はぁ つくづく…


異常気象だった巳年(泣)
人の心は異常気性(T_T)
(悲惨な事件が多過ぎる)
午年になってもこの異常は続くだろうなぁ…


さらに気をひきしめて!
そなえよつねに!!

プロフィール

Dr.Psycho

Author:Dr.Psycho
【心理カウンセラー「心のデトックス」】
もう開業して26年目になります
横浜と新潟にオフィスがあり
月のうち10日間ほど新潟に滞在

【武道家】
空手道ですが 示現流もやります

【モータースポーツ】
国内A級ライセンス

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