28~4日は年末年始のお休みです

幼少より年の瀬がせまってくると
なぜか一抹の虚しさというか寂しさをおぼえたものであった。
その感情は今も変わらないが、除夜の鐘にちなんで・・・
仏陀ならびに阿毘達磨(アビダルマ聖典;三蔵、すなわち経・律・論のなかの論蔵)は
人の心の完全性を曇らせているのは「煩悩」であると説いている。
英語では afflictive emotions(つらい感情)、defilements(心の汚れ)
mental distortions(精神のひずみ)、negative emotions(負の情動)
disturbing concepts(心身を混乱させる精神作用)などとも訳されている。
煩悩とは「心に生じたとたん、内に不安を生み出し、心の本性を覆って
コントロールを失わせる機能をもつ精神的要因」なのである。
こうした精神的・情緒的迷妄性は習癖的で反復的な情緒の複合体であって
それが病の精神的根源となる。
何千もの煩悩は、愚痴・貪欲・瞋恚(しんに;いかりやうらみ)の「三毒」に集約され
すべては根本的な無知、すなわち無明から生ずる。
また煩悩は二つに大別され、さらに細分化されている。
(1)情緒的な迷い
①顕在的なもの・・・後天的
②潜在的なもの・・・先天的
(2)理知的な迷い
①顕在的なもの・・・誤った見解
②潜在的なもの・・・主体と客体の二元論
主体と客体の二元論、つまり恒常的に分離した「自己(我)」という観念に固執することこそが
すべての煩悩を生じさせる根本的な無知なのである。
この「自己にしがみつく(我執)」という行為は
チベット医学では以下のように、実に明確に語られている。
あらゆる病にはたった一つの原因があるだけ
すなわち それは「無我」(恒常的エゴのないこと)
この意味を理解しないことに起因する「無知」
たとえば 鳥が天高く舞い上がれたとしても
その鳥が大地に写し出された影から離れられないように
あらゆる生物が喜びとともに生き 行動するときですら
「無知」を持ち合わせているかぎり
病からは逃れられないのである