「新潟滞在中」
握手という一見したところ無害で、礼儀正しい動作の根底にあるものは、「疑い」と「恐怖心」なのである。
ヒトはかつては、動物と他人の両方からおびやかされていた。ヒトは自分以外信用できなかったし、だからこそ、十分に武装して移動した。
原始人は棍棒を、そのあとの文明人は刀を持ち歩き、さらには銃器へと・・・。
見知らぬ人に会うとすぐに疑いの心が起きた。他人の意図はわからなかった。
こういう場合は、双方がそこにとどまり、何が起きるかを知ろうともせず、後ろを向いて逃げることがまず第一であった。
次に、一歩もひかずに戦うことであった。
それから、武器をますます強く握りしめ、相手と十分に距離をとって進むことであった。
最後は仲良くなり、できたら友達になることであった。
そうなるためには、まず、攻撃の可能性がないことを確認しなければならなかった。
そういうわけで、彼らは武器を置いたり、武器から両手を十分に離して手に何もないことを示すようになった。
そして、さらに念を入れて、相手がいきなり武器を手にしないようにするため、彼らは固く握手をしたのである。
だから、心からの握手も、はじめは友情ではなく、不信の表れとしてなされたのだった。握手に右手を使う習慣も偶然ではない。利き手を相手にあずけるということで、お互いに武器を使うのを封じたのである。
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