茶の湯では、五感への特殊な刺激を与えられることによって、座禅と同じような境地へ至ることができる。
安定した姿勢、雅(みやび)な身のこなし、呼吸の調整、お香の匂い、単調で平和な茶釜の音(松籟;しょうらい)、抹茶のデリケートな味わい、床の間に掛けられた枯淡(こたん)な掛軸、その他茶器がもつ独特な鎮静的雰囲気などがその刺激である。
「千利休」の短歌に・・・
点前(てまえ)には
重きを軽く
軽きをば
重く扱う
味わいを知れ
これは、空の水指(みずさし)を、あたかも水を満たしたかのように持ち運び、逆に水を満たした水指は、空のそれごとく持ち運ぶ修練を意味する。
私は、それ以上の解釈をしてみた・・・
人が失敗するのは、物事を軽く見くびって対応するときに多い。一方、少し困難なことに出会うと、ついしりごみして人生のチャンスを逃しやすいものである(>_<)
「一期一会」、すなわち「ただ一度の出会い」ということが、この茶室で教えられる。この茶室でこの客に出会い、一碗(ひとわん)の茶を点(た)てるのは、これが最初で最後である。
すべての人は遅かれ早かれ「死」へと運命づけられている。ただ、日常生活の中ではこのことを忘れがちなだけである。だから、今この客に深い愛情をもって、この一碗の茶を点てることにベストを尽くすようになるのだ。
茶の湯は単なる趣味でなく、悟りへの道である「茶禅一味」 (^_^)v
自意識を離れた行動が、意識的な努力や目的にとらわれることなく、自然に身体から起こってくる。まさに「いまここで」「あるがままに」なのである\(^ー^)/
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