源義経は、軍事の天才であったと思う。
歴史的にみて彼の場合、戦略というものはナシだったようだが、戦術においてはまぎれもない天才であった。
天才の一つの条件として、他の誰も思いがつかないような、独創的というか奇想天外な方法を編み出すというのがある。
彼は既成の概念や常識にとらわれない革命的な戦法で平家を撃破していった。それは、時として合戦のルールを無視した掟破りの卑怯な方法だと非難されもしたが…(>_<)
事実、彼は平家との合戦では、このルール違反を連発している。
一の谷の合戦では、敵の無防備な背後、つまり急斜面を馬で駆け下りて奇襲をかけ敵を倒しているが、当時の合戦のルールとしては、双方で名乗りをあげ、正面から正々堂々と渡り合うのが礼儀作法であった。
それを彼は全く無視したのだから、卑怯と非難されても仕方がない。
また、屋島の合戦では暴風雨をついて敵の本陣を急襲している。
命のやりとりなので、作法だの何だのと悠長なことは言ってられず、彼の合理的戦法に今の感覚では拍手喝采だが、当時の常識からすれば、彼のやり方は勝ちさえすれば良いというダーティーな戦法と見なされたのだろう。
さらに極めつけは壇ノ浦の合戦だろう。
海戦は平家のお家芸で、最初は平家の圧勝かと思われたが、彼は形勢が不利になると、ここでも革命的な戦法に出た。
船に乗った武士ではなく、その船の漕ぎ手を狙って矢を浴びせかけたのだ!
非戦闘員(?)を狙うというのは、これまた常識はずれのダーティーな戦法で、漕ぎ手を失った平家一門はそのほとんどが壇ノ浦の藻くずと化したのだった。
彼が短期間で強大な平家一門を滅ぼしたのも、こういう既成概念を全く無視した戦法をとったからであり、さまざまな批判はあったものの、「勝てば官軍」なのである。(「勝てば官軍…」と言ったのは油井小雪だが)
もっとも、戦術的には天才の義経も、グローバルな視点から天下の形勢を見たり、長久の策を立てたり…という方面ではまるで赤子同然であったから、あえなく破滅の道を歩んで行ったのだろう。
でも、彼の革命的戦法は日本の合戦史上、輝くものであることには間違いあるまい。
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