釈尊は永遠に存在するものはないと教えられた。
すべての創られし事物と存在は、それが自然の物であろうが、人の手によるものであろうが、常に変化し流浪の旅をしているのである。
たとえ一瞬であろうとも、その時間の経過の中でもとのままであるものは何一つとしてない。すべては常に来たりきて、崩壊し滅し去る。
定住するものはこの「無常」だけである。
このことは、現在の物理学の最先端で明らかになっていることではあるが、釈尊の時代にはわからなかったことである。
この難解な「無常」「無我」の教義はウイリアム・ブレイクによって美しい詩に表現されている。
蝿
小さな蝿よ
お前のひと夏の遊びを
何気なく私の手がつぶしてしまった
私もまた
お前のような蝿ではないのか ?
それとも
お前が私のような人間ではないのか ?
私だって飲んで歌って踊る
いつか何らかの盲目の手が
私をたたきつぶしてしまう日まで
思考は生命であり
かつエネルギーであり息吹である
ならば思考を持たぬことが死であるのか
それなら私は
幸福な蝿だ
生きていようが
死んでいようが
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