動物にみられるふれあいについて、昔から「焼野のキギス、夜の鶴」といった例えがよく使われるが、これは動物の母親がわが子に対する自然の愛情を表現したものだ。
焼け野原で黒こげになったキジのふところに、雛がしっかりと守られていた話しや、霜の降る夜に、母親の鶴がわが子を霜から守るために、自分は霜に打たれながらも、その羽の中に子鶴を抱いていた話しがそうである。
どんな悪人でも、通りすがりに、子供が井戸に落ちようとしているのを見ると、反射的に助けてしまうだろう。
これを「孟子」は『惻隠の心』とよび、『仁の端』であると言っている。それは、道徳以前の人間の本性であると言っているのだ。
動物の母親にみられるような愛情は本能であり、井戸に落ちる子を救わずにいられないような心は、道徳以前のものではあるといっても、それこそが『愛の原点』ではないだろうか。
知性の文化によって洗脳された現代人の心からは、動物にみられる本能的母性愛さえ忘れられつつあることが、昨今の幼児虐待のニュースからもうかがい知れる。
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