コンピューター至上主義の機械文明が高度に発達した現代社会では、人間が人間の身体がもつ精神性を無視して、他人を物のように扱い、利用できる道具とみなしたり、人間も含め、命あるものからその命を奪うことを、軽く考えたりする傾向が強まってきている。
荘子は2000年も前に、このような文明の落とし穴について…
「機械あれば機事あり。機心胸中に在すれば則ち、純白備わらず…」(荘子天地編より)~機械が作られると必ずたくらみ事がされ、たくらみ心が生ずると人間の純粋な心が失われる。
「民の利におけるや甚だ勤む。子にして父を殺すあり。(中略)千世の後は其れ必ず人と人とあいはむ者あるなり…」(荘子雑編より)~人民というものは、利益を第一の価値とみれば、親殺しでもなんでもやってしまうものだ。その害は千世の後にあらわれ、人間同士が殺し合う世の中になるだろう。
…と教えている。
人間の孤独感と人間同士のあつれきが強まるのは、われわれが他者から阻害されたり、物のように扱われたり、命の危険に遭わされたりする時である。
もしも、自己と他者が最初から孤立した存在であるならば、われわれは孤独を感じることはない。
しかし、われわれは根源的に他者と結ばれた存在であり、他者を介することによって、初めて自己として存在しはじめたのである。
だからこそ、自己を孤立した存在と意識すればするほど、ますます孤独を感じるのである。特に、自我の目覚めが深まる思春期は、なおさら深く孤独を感じる時期でもある。
われわれは血のかよった生き物である。
血圧の上昇、心拍数の増加、呼吸の促進、発汗、胃液や唾液の分泌減少などが現れたら、それが不安や怒りによる生理的な反応であることを知るのには、心臓や胃など個々の器官だけでなく、その人を知らねばならないのである。
つまりは、身体をネガティブなものとしてではなく、ポジティブなものとしてとらえ、人間としての現実を、心身一如の営みをする生き物として理解しなければならないのだ。
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