7歳の子供がラクダから落ちて・・・
国境なき医師団の医師らが急いで行くと、脳みそが半分くらい出ている。
ラクダは背が高いから、子供にとってはものすごい衝撃である。
でも、生きている! 息をしている!!
医師らは懸命の努力をしているが、治すのは無理かもしれない。
子供の父親は「ドクター、助けてください」と・・・
気管内チューブを入れ点滴をし、蘇生の努力はするけれども
脳みそが半分出ている状態ではどうしようもない。
5分もしないでその子は息絶えた(泣)
医師たちは
「お父さん、全力は尽くしましたが、亡くなりましたm(_ _)m」
すると、どうだろう、この文盲で無学な人は微笑んだ。
そして、両手をあげ、天を仰いで
「アラー・アクバル、神様ありがとうございます。神は偉大なり!」
普通の人には理解不能だろう。
子供が生まれたら、それは神に遣わされたので、神様のかわりに育てているに過ぎない。
それを、早めにおまえの義務は果たしたから7歳で連れて帰ってくれた。
世間に悪く染まる前に・・・、だから彼は天国にいる。何とありがたいことではないか。
これが、その父親の心情なのである。
果たしてこんな気持ちになりうるだろうか?
「死」とは?
「生」とは?
興味深いことに、「禅のこころ」はとてもこれに似ている。
「生と死」を超えたところに、その心のあり方がある。
すなわち「空」
柳生石舟斎師、伊藤一刀斎師、宮本武蔵師などの
幾多の剣聖たちの到達した境地である。
イスラム原理主義など、一部の過激組織の行動には大きな疑問が残るが
本来のイスラム教徒とはこういう考え方をする人たちなのである。
彼らの多くが日本の武道にとても興味を持つのも、何となくうなずけるものがある。
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