1月6日(金)晴れ
「好奇心」というものは ほとんどはじめからあった
知りたいという圧倒的な願望は生物の特徴であり
ヒトは好奇心がなければ生きているとさえ考えないかもしれない
植物はわれわれが認知できるようなやり方で
その環境について好奇心を示すことはない
風や雨が必要なものを運んできて 自分たちが必要なものを摂る
もし偶然でも何かのインシデントがあれば
彼らは生きていたときと同じように 感情を現さずに静かに死ぬだろう
生物体系の初期に独立した運動を発達させた生物もいた
それは環境をコントロールする力を進歩させた動く生物である
彼らはもはや食べ物がやってくるのを待つのではなく
自ら進んで食べ物を追いかけて行った
このことは冒険がこの世に生まれたことを意味する
そしてそれと同時に「好奇心」も生まれたのであった
争って食べ物をあさることをためらった個体は餓死し
環境に関する好奇心が生き残りの代価として強制されたのである
単細胞のゾウリムシは何かを探すように動き回っていても
ヒトが持っているのと同じ意識的な意思や欲求ではなく
単純な物理化学的な推進力にすぎない
しかし 彼らは本能的に前へ進むようにできている
そしてそれが あたかも食べ物を求めて動いているように見えるのである
そしてこの「好奇心による行動」こそが ヒトの生活に最も近いものであり
ヒトが生活から切り離せないと容易に認めているものなのだ
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