毎年、何十万という日本人がいろいろな口実をつけて、ひっきりなしにヨーロッパやアメリカに出かけて行く。
こうような大量の欧米への渡航は、明らかに科学技術の進歩を促してはいるものの、仕事にせよ観光にせよ、彼らが本当にくつろいでいるかどうかは疑わしい。
西洋のどっしりとした石やコンクリートの建物は、日本人旅行者に強い印象を与えるだけでなく、むしろ彼らを圧倒してしまう。
日本の都市にも目新しくはない西洋風の建物があふれてはいるが、それにしてもヨーロッパやアメリカのそれは、はるかに大きくて畏敬の念を起こさせ、その結果平均的日本人のおだやかな神経は無意識のうちにかき乱されてしまうのである。
やがて彼らは長く慣れ親しんできた、きゃしゃな木造の建物と小さな風景式庭園がないのを、寂しく思うようになるのだ。
あるベテラン外交官が、この方はいくつかのヨーロッパの国々で立派に勤めを果たされて、後に外務大臣になられた方だが、かつてヨーロッパでの彼の最後の駐在地に滞在中に詩を書かれていた。
その詩の内容は・・・
「自分は外交官としての生活の華やかさと贅沢の中で暮らしているけれども、むしろ早く帰国したい、そうして、故国日本の木造の家の破れ障子を通して満月を見たいのだ。」
という趣旨のものであった。
「ホーム・スウィート・ホーム(はにゅうの宿)」の日本版である。
精神医学的、あるいは心理学的に診て、この孤独にひきこもること、あるいは自然のすぐそばにいたいという願望は、憂うつな悲観主義にも似ているが、決してそうではなくて、年を取るにつれてますます強くなってくる、きわめて普通な日本人の特徴なのである。
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